カテゴリー: ご寄付経過報告

横須賀美術館展示おたより紹介ー寄付経過報告1

横須賀美術館での展示を見に行って下さった方から、おたよりが届きました。

「昨日(4月25日)一人旅に行って来ました。
京浜急行の快速にてちょっとした小旅行気分を味わいながらたどりつきました。
あなたの『硯海』にももちろん対面してきました。
この濃淡のなかにどのような想いや労力が費やされているのかな・・などと思いながら拝見させていただきました。
美術館自体も美術品のような配慮で造られており、日常を離れたひと時をすごさせていただきました。
ありがとうございました。」

届いたお葉書には、谷内六郎の『船が編むレース』という作品が印刷されています。
本当に心温まるお言葉、胸に沁みました。
こちらこそ、ありがとうございます。

私はまだ横須賀美術館には、自分の作品の展示を見に行くことが出来ていません。
こんな天気の良い日に、海を見ながら美術館に行けたらどんなに気持ちが晴れることか...。
そして、熱心に見に来てくれた人にご挨拶が出来ればとも思いましたが、それらは全て作品に任せることにしました。
きっと、作品も横須賀の空の下で気持ちよく過ごしているに違いありませんから。

*寄付等収益の経過をご報告*

期間:4月28日~5月1日

応援寄付 1名様(東京都)
賛同寄付 1名様(オーストラリア)

寄付金合計11,000円

画集1冊販売 1,260円

その他の臨時収入(先月施設に作品1点が買上げとなりました)
作品画料 60,000円

収入合計 72,260円

寄付をして下さった方々へは、ささやかなお礼をお送りさせて頂きました。
オーストラリアの方へは、小型包装小包航空便にて画集を発送致しました。
土日休祭日が重なり、本日発送となりましたことをご了解下さい。

本当に心からお礼申し上げます。

今月末までに、まだ約8万円が必要です。

昨晩、報道関係者等、頭に浮かぶ方々6名に直接送る内容書類をつくりました。
文章の推敲にきりがなく、まだ不充分な状態かもしれませんが、時間的な限界もあり、祈る思いで投函しました。

広くご理解が頂けるよう、「寄付のお願い」の文章を少しずつ手直ししていくつもりです。
また、プロフィール欄にpdfで書類をダウンロード出来るよう、URLに貼ってアップしました。
http://www.kawadayuko.com/swfu/d/kawadayuko_art_support_donation.pdf

メールやFacebook、Twitterに添付等の形で、広く呼びかけをお願いします。

また本日市内の派遣会社に登録をして来ました。
この連休にできる単発的なお仕事は何でもするつもりです。

以上ご報告まで。
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これまでの経緯ーそして決意

画家川田祐子は、約20年間、画廊での個展やグループ展、美術館での企画展、ワークショップ、作品収蔵、大学機関での講師、公的機関でのシンポジウム等々、画家として数えきれない程のチャンスに恵まれて、活動することが出来ました。これらは、私の力をはるかに超えた、多くの方々の尊いお力添えの賜物、一つ一つが奇跡の積み重ねです。今振り返り、感謝の気持ちで心が震える思いです。

しかし、現実的には2008年まで、個人サポーターによって、制作室と生活費の支援があったため、画家としての活動が実現していました。ところが、複雑な事情が起こり、支援の手を離れて独立した頃から、思うように活動ができなくなっていました。名目上の会社形態にして、銀行の融資も受け、美術作品を広く普及する事業も展開しようと努力致しましたが、力及ばず、負債を膨らますことになるばかりでした。

それでも、2008年に第21回美浜美術展 福井県知事賞、2009年第22回美浜美術展 準大賞、平成21年度女子美術大学制作奨励賞を受賞し、苦境を切り抜けようと精一杯頑張りました。

しかし昨年2011年の大震災のショックで、自分自身画家として生きる事のリアリティを感じなくなったこともあり、一時は制作を離れて生きる術を求めて迷走することとなりました。経歴を伏せ、アルバイトや内職に奔走することもありました。

この度長野への移転は、実はそうした生活上の事情から、画家としてのこれまでの経験を後進の育成に役立てる生き方にシフトしようとして行ったことなのです。しかし、運命は私が画家であるよう引き止めたのです。

まず、昨年12月に入ってから、横須賀美術館から所蔵品展への展示作品借用の依頼が来ました。引っ越しの手続きをしている矢先のことでした。とても嬉しい反面、自分の画家としての置き所がわからないまま移転、長野から作品を送りました。

そしてとても衝撃的なことが、3月4日と5日に起こりました。

4日に、ある美術館から手紙が届き、それを確認したところ、2年後の開催予定の大規模な企画展の依頼が来ていたことがわかったのです。

その内容は、

会期:2014年1~2月
企画・会場:損保ジャパン東郷青児美術館
展覧会名:企画展「クインテットー五つ星の女性作家たち 1」展

内容:将来有望な5人の女性作家を紹介する展覧会
30~50代で、国公私立美術館の企画グループ展等に出品経験があり、将来有望な女性作家5人を選出。出品作家は、当館の5人展を経て、近い将来、国内美術館で個展が開催出来る可能性を秘めた、実力作家。(企画書より引用のママ)

私の心は大きく揺れました。長野に来てからは、絵画制作を寸暇をみつけて細々と続けられたとしても、発表活動はしばらく諦めようと思っていたからです。真剣に、これまでの経験を美術教育に活かすよう、教育・研究に身を捧げようと心に決めていたのです。ですから、そのような良い話しに甘んじて決意を覆してはならないと、その時はそう自分に言い聞かせました。

しかしその翌日、大学機関から「最終の受理が通らなかった」という失意の連絡を受け取ったのでした。昨年9月から丸半年をかけて厳しい審査をくぐり抜け、最後まで残っていたのですが、全くの白紙になってしまったのです。

私は、この時二つの矛盾した心が、自分の中にあることをはじめて実感しました。
「私はやはり画家として生きて行くことを許された」
という気持ちと
「これからどうしよう」
という途方に暮れる気持ちです。
経済的に困難な状況に解決の目処がつかないからです。

その足で、偶然、国立国際美術館の女性作家作品コレクション展に出会ったのです。運命を感じずにいられませんでした。どれほどその時に励まされ、心を強くしたことか...。。今日私がこうあることも、全てこれらの人たちの少しずつの努力の積み重ねで可能になっていることかもしれないからです。

「私も勇気をもって『画家』として立ち向かおう」そう決意できました。

長野に移転したことについては、今では何も後悔はありません。もし相模原に居続けていたとしても、経済的状況は何も変わらないからです。引っ越しに費用がかかりましたが、むしろその分、家賃や生活費を抑えることができ、アトリエも少し広くなったのです。制作に集中する環境は充分に整っています。また、採用されなかったことを恨む気持ちも全くありません。この経験は一つの大きな自信に繋がっています。最後まで私の業績を深く理解し、推して下さった人がいたのですから。

新作制作もとてもはかどっています。しかし.....。

この続きは明日に持ち越します。
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