風はみちびく
2013
hatching
acrylic gouache on canvas
162X162cm
2012年に近くの信濃美術館でワークショップをし、翌年1月に東山魁夷館でギャラリートークをしました。
その時に、東山作品の『道』の構図について説明したのですが、
実はそれは参加者の方々にとってというよりも、私の制作のためにとても良い刺激になりました。
それまであまり構図の効果について深く気にすることなく制作して来たように思いますから。
その後、今年は2月に大腿骨を骨折してしまったわけですが、 それもとても良い経験になりました。
松葉杖の生活から、足を止めて、周りをよく見る習慣を持つことができるようになりました。
これも私の制作に、とても良い刺激になったと思います。
そこから快気祝いの『風はみちびく』というプリントの作品が生まれました。
その時に短い文章を作品に添えました。
松葉杖で、あまり早くは歩けなかった日に、
いつもならば見過ごしてしまうような景色に目を留めることができました。
夏には草ぼうぼうの雑木林が家の近くにあるのですが、
この時期は、葉がすっかり落ちて、樹木の枝振りを見せていました。
人にも骨組みがあるように、樹木にも骨があるのです。
そしてその枝振りは、まるで風の流れを教えているようでした。
私は枝を見ていながら、風を見ているようでした。
はっと思い、その思いの冷めぬ内に紙に描き起こしました。
この題名は、自分にとってとても大切なもののように思え、
『クインテット展』に出品する大作の一つに是非結実させたいと考えました。
そのような由来で出来たのが、この作品です。 同じ題名をつけました。
『道』という主題は、人生観の象徴と私はとらえます。
一昔前の人生観は、確かに明確な道筋があるように皆が思い込んでいた時代でした。
あるいはそうでありたいという願いのようなものが、東山作品の『道』には込められているのでしょう。
例えば、良い大学に入り、大きな企業に就職し、結婚をして、家を持ち、幸せを築く...、
というような道があり、誰もがその道を求めていた時代があるわけで、
「その道は、ここに開かれていますよ」という絵が見たかったのだと思います。
いや、今でもノスタルジックにそのような人生が可能なら、 そうありたいと思い続けている人は多いでしょう。
しかし、そういう思いを引きずったままでは、新しい人生は開かれない。
というのが今の時代ではないか、と私などは思うのです。
大道よりも「我が道」をあえて選ぶ人生観。
私の育った時代から、そのような空気が確実にあったように思いますし、
他人の敷いたレールには乗らないのだという自負というもの、
反骨精神のようなものが本来人間の本能部分にあるはずです。
あるいは、「道無き道を進む」美学というものが人生観に存在するようにも思えます。
誰かが切り開いてくれた道を進むのは、凡人の道であって、
非凡な人間が荒野を地図を持たずに暗中模索の道を進み、
頼りになるのは、運任せ、風任せ、というような生き方。
今は、誰もがその非凡な力を大なり小なり発揮しなければならない時代ではないでしょうか。
少なくとも非凡な道を選ぼうとする人に向けて、何らかのみちびきがあるようにと描いた作品になりました。