作品「雪波」
この制作のきっかけは、山形の冬の蔵王に樹氷を見に行く旅から始まりました。私の制作では、白描線が、とても重要な手法になっていて、雪や氷の観察をするためでした。蔵王宿泊で利用したペンションでは、オーナーからとても良い話が聞けました。
「山は上から下に向けて、少しずつ少しずつ毎日動いている」というのです。不動の山というそれまでのイメージが、私の中でその瞬間崩れました。不動性よりも絶えず変化していく微動を感じる画面を作りたいと思うようになりました。
当時の私は、日々借金返済に追われる生活をしていました。副業はせずに、制作で返済する力を持ちたいと、悪戦苦闘していた頃のことです。
この制作の途中では、2009年に世田谷の碑文谷で公開制作のイベントも行いました。作品自体もアトリエから移動させてみようという試みです。その頃始めたツイッターで知り合った、大家さん、建築士さん、庭師さん、アパレルデザイナーさん、そして画家の私という、異業種交流による展示「ブルジョア・ボヘミアン(略してブルボヘ)」のメイン・イベントでした。毎日ちょっとした小洒落た空間に人々が集い、私の制作が披露され、刺激的な交流ができました。
主催者は、作品の販路と出会うきっかけ作りになればと思ってお誘いくださった訳ですが...。結局、北欧家具、観葉植物、オーダーメイドの洋服が並ぶ展示空間、そして気持ち良いオープンカフェ&ワインバーのお店などの多目的空間の中で、私の作品は良い意味で溶け込みすぎて「販売している」という主張が出ないことに初めて気づいた経験になりました。他業種の人たちにとっても、思ったほどの結果にならなかったようでした。
後から思うに、それは長く続いている経済不況から、なんとかして脱したいという個人事業主たちが、藁をも掴んだその藁を、束ねて一艘の小舟を編み、乗り込んだような出来事でした。結局その出来事は私にとって、オーソドックスな画廊での個展発表へ強く回帰させることになりました。
と同時に、この大作制作に向かう瞬間のみが唯一、「画家として生きている証になる」と強く感じるようになって行きました。自分なりの一種の信仰のようなものが始まりました。
しかし一方で、私はまだまだ若く(当時50歳手前でした)、新しいことへの意欲を燃やし続けていました。ブログを書き続けていた私は、『ロングテール』という本に感化されて、コアな絵画こそ、インターネットでのオンライン販売に可能性があるのではないかと思うようになりました。手始めに海外サイトe-BayやEtsyなどでプリント作品を販売する準備を始めました。ところが、始めたその瞬間に、2011年3月11日、大震災が起きたのでした。
私はなすすべもないにもかかわらず、まだ「なんとかしなければならない」と右往左往していました。同時に色々なことが重なり、そのベクトルが大波とともに私を長野に押しやったのでした。
見知らぬ土地で、しかし常にアトリエにはこの作品があり、画面に向かうことで自分自身を取り戻すことができたのでした。この作品の前で動画を撮影し、寄付を募ったこともありました。制作の状況や日々の思いを綴るブログ記事も書き、日々、「もうダメかな」と半ば諦めながらも制作に向かうと、次の日にはなぜか問題が解決して行くのでした。一つ一つの出来事に、少しずつの気づきがあり、結局は「制作に向かうことが唯一自分を成り立たせる」という信仰が一層強まるのでした。
しかし頭では何となくわかっていても、行動にまで落とし込めていないことがたくさんあるものです。私はまだまだ右往左往している部分がありました。その結果が、みぞれ雪の降る中での骨折事故。2012年3月に下旬に慌てて新宿から帰宅した私は、足を滑らせて入院。そのことを反省を込めてブログ記事に正直に記録したのでした。
それからは「こうしなければ悪いことが起きるのではないか」という強迫観念で動くのではなく「どうしてもこれをしたい、これをすることが私の幸せ」という気持ちから行動することにしたのでした。
どういう巡り合わせなのでしょう。たまたまその記事を読んだ見知らぬ人が、この作品を画廊を通して買って下さったのです。後から聞いた話ですが、知人が大腿骨骨折で悩んでいたことがきっかけで、ネットサーフィンしながら調べているうちに、私の記事に出会ったとか。
この作品を制作することで、得た教訓は数多く、計り知れないことばかりですが、実は、現在の世界的な危機の状態の中で、私はすでに前準備をさせてもらっている気がしてなりません。
「悪くならないようになんとかしよう」とすればするほど、自体は悪化しましたが、明らかなことは、「じっとアトリエにこもり、この制作に集中することが私の幸せ。と感じる生活によって、問題が解決し、難から逃れることができた」のです。その途中には、震災や骨折事故まで経験しましたが、常にこの作品が私を守り導き、結果的に私の想像のつかない方法で、私を救う最終章まで用意されていたのでした。
今このタイミングで、横須賀美術館にこの作品が展示されている意味は、またとても大きいものがあります。この作品が私に与えた教訓は、きっと誰にでも当てはまることに違いないからです。
重要なことは、「何かをしなければならない」のではなく「あるべき姿でそこにそうある」ことが大切なのだと今は頭で理解するだけでなく、行動も伴うようになって参りました。
この作品は美術館に展示中ですが、この状況で「見に行く」ことが重要なのではなく、むしろ「そこにそうあることを」知ってもらうだけで十分であることも、最後に付け加えておきたいと思います。