川田祐子の発表活動記録
レンタル画廊
発表当初は、すでに日本経済はバブルが弾けていました。しかし、まだまだ美術業界は勢いがあり、レンタル画廊の最盛期でもありました。銀座・京橋界隈を歩くと、画廊を見て周る美術ファンを多く見かけたものでした。当時は、若い作家を応援する空気があり、良い条件で発表会場を渡り歩くことが出来ました。
出会い
1995年から2011年まで、美術評論家の鷹見明彦氏(1955-2011)に、継続的に個展を見て頂きました。また、随筆家の加島祥造(1923-2015)氏や、和紙に鉛筆の抽象画を残した斎鹿逸郎(1928-2007)氏との出会いで、作家として生きる勇気を頂きました。
活動の流れ
作品発表活動は、以下のような流れでまとめることが出来ます。
移動時代(1995〜2002)
画廊での個展発表、公募展応募、グループ展出品、美術館での企画展、ワークショップなど。発表地は、北は岩手から南は広島まで、広範囲に移動しました。また、熱心に応援して下さるお客さまと数多く出会い、その後の活動を長く応援して頂くことになりました。
京橋時代(2003〜2016)
2002年のVOCA展での出品を機に、当時京橋にあったギャラリーKANEKO ART TOKYOで、取扱作家となりました。しかし、片倉ビルの解体を機に、ギャラリーは、馬喰町、東日本橋へと移転を強いられました。
一方、発表した大作のいくつかは、パブリック施設や個人コレクターの所有となりました。また、美術館主催の展覧会への出品、韓国での発表のチャンスも頂くようになりました。
長野・軽井沢時代(2017〜)
経済的事情から、2012年に相模原市からから長野市に移転しました。その後、2016年の画廊の休廊を機に、軽井沢にアトリエを移転しました。
そして、2019年にイタリアに銅版画技術取得のために渡欧。しかし2020年からは、社会的な事情から、リアル空間での発表活動を一時停止しました。
そのような期間にあっても、コレクター諸氏のご厚意によって、横須賀美術館に所蔵、寄託されている作品が展示されることになりました。
一方、バーチャル空間での発表活動など、インターネットの活用を実験的に取り組んでいます。
1995年から現在に至る主な展示発表活動の風景画像を、下記サイトにて記録しています。