あなたがアートを買うとしたら、どういう理由からでしょうか?「手頃な価格だったから」「アートを買って人に見せたいから」「家の中の雰囲気をよくしたいから」「作家と親しくなりたいから」「作家を応援したいから」それとも「誰かが評価しているから」でしょうか?

「お客様は、優しい嘘をつくことがある」と聞いたことがあるので、必ずしもその時の答えが全て本当のこととは限りません。アートを買う理由は、個人個人の自由と思います。

長く私の作品と向き合ってくださる方々を何人も見ていて気づくのは、「一番良さそうなアートを買う」のではなく、「他の人には買えそうにないアートを買う」姿勢もあるということです。アートを買うとは、冒険や挑戦をすることと同じなのかも知れません。

かつては無名であった作家の作品や、物置に仕舞い込んであったよくわからない作品が、突然注目を浴びる、そういうワクワクするような話は美術の世界ではよくあることです。

スティーブ・ジョブズが駆け出しの頃に買った日本の新版画を、今や世界から注目を集める様になりました。日本の新版画は、日本では浮世絵よりも人気がなかったにも関わらずです。

伊藤若冲も、最近までは、一流の絵師ではなく、奇想の画家の一人とされていましたが、アメリカのコレクター、ジョー・プライスの収集によって、再評価されるようになりました。

長谷川利行の家賃代わりに受け取った油絵「カフェパウリスタ」が、2009年テレビ放映の「なんでも鑑定団」で1800万円の鑑定額がつき、その番組をきっかけに東京国立近代美術館の買い上げ所蔵となりました。その70年前に利行はその作品の裏に「定価千円」と書き入れ、家主に渡していたのだそうです。

逆に誰かがそのアートが有名だと言ったからといって、それが本当に自分にとって好きなものとは言えないものです。

アートを買う瞬間に、「これこそは自分にしか買えないものなのではないか?」という問いが頭に浮かぶことでしょう。その時に、「損得ではない。自分のセンスを信じてみよう」という世界が開かれます。アートを買うというのはその人の人生観の縮図。「自分は挑戦しながら生きているだろうか?」アートを買うことで、きっとそのことに気づくことでしょう。

本当は、作家だけではなく、売る人々や買う人々も、アートの動向を左右しているのです。ある一人の人間が、どういうアートを買うかによって、この先の未来のアートのあり方が変わるとしたら、あなたはどの様なアートの未来を作ってみたいでしょうか?

ここからはアートの深い話になります。

膨張するアート

「アート」と一口に言っても、現代社会では、その定義も多様で複雑で、不確定なものになっています。その理由は、西欧諸国において、近代合理主義の下、「芸術」の定義を幅広く発展させて来たためです。その主な目的は、長く権力の支配下に置かれていた歴史を否定し壊しながら、アートの民主化を目指すものでした。古い芸術作品は、権力や知識を持った人が好む崇高さや偉大さによって守られていましたが、その権力が失脚すると、民衆に支持されるアートが台頭するようになりました。なぜならアートの自由な表現が、「私たちの自由を実現している、未来に向かって約束してくれる」と希望を持つことができたからです。

「私たちのアート」とは

「私たち」とは、次第に自由な意識を持った大衆となりました。その大衆が好むアートも、この100年で少しづつ変化して来ています。

少し前までは「誰もが知っている」「誰かが良いと言っている」「誰かが高額で買った」という情報で、一般大衆が好んでアートを買いました。

ところがその意味を注意深く確認すると、実は情報操作が行われていることに、次第に人々は気づきはじめるようになったのです。つまり、権力がマスコミや企業などお金を大量に動かせる人々に移っただけで、新聞報道やテレビの情報を操作できる側の都合の良いアートが、「誰もが知っている」「誰かが良いと言っている」「誰かが高額で買った」アートであり、これこそが大衆が好むアートなのだ、となっていたのです。

つまりこれまでの「私たちのアート」とは、私たちが好んで選んでいたのではなく、一部の情報を操作できる人々の都合の良いアートにすぎず、大衆はその情報を鵜呑みにしていたと言えます。そこで、アートとは美術館や特別な人が買う、自分の日常生活とは何の関係もないものになって行きました。

しかし、そのような状況はバブル崩壊後、次々と立ち行かなくなりました。それまで多くあった企業経営や大手の画廊、ギャラリーが閉廊して行きました。それは目的が利益追求だけにあった証拠です。大衆にとっては、アートは別世界から来るものなので、なくなっても大して困らない、それを冷ややかな目で見ていたのかもしれません。

同時に、それまでマスコミによって作り上げられた「一般大衆」あるいは「消費者」という均一的で、無個性なわかりやすい顧客層がいつの間にか消え去り、「多種多様なこだわりを持った個々人に、どのようにアートを見に来てもらえるか」という難しい問題に直面することになったのです。

これからの「私だけのアート」

では、本当の「私たちのアート」とは何でしょうか?これまでの、多数決で選ぶ「私たち」という意識を変えて、多様な好み、マイノリティな美意識、本当の「私」だけが価値を認めるアートを発見し、それぞれが大切にしていくことなのです。その先にあるのは、「みんなちがって、みんなよい」という各個人、互いを尊重し合う社会です。

昨今のアートが多様で複雑なのは、多様で複雑な時代をそのまま表現し、受け入れることがこれからの自由な社会のあり方だからです。私たち人間は、工場で生産された規格品ではないのです。教育産業で生み出されるような社会の歯車の一つではないのです。

画家川田祐子の作品も、多種多様です。一つのスタイルに決めず、その時々に移り変わる自分を正直に作品に出すようにして来ました。その変化で、多様なバリエーションを集めてくださっている方もいらっしゃいますし、その時々の作品がそれに合う人に出会って、今では約400人近くの方々のご自宅に作品が飾られています。

コレクターズ・コレクションは、下記ページにてご紹介しております。

私自身が、本当の自己を確かめながら制作し、「これが今の自分なのだ」「瞬間瞬間のこの自分こそが大切なのだ」と思って制作して来たように、あなたもあなた自身の価値観や存在を確かめ、大切にするために「これが私のアート」と選んでみて下さい。

そしてもし、心の余裕があれば、ご自分の生活にアートを取り入れて、大切な時間をゆっくりとした気持ちで過ごして頂ければ幸いです。その時に、世界線は変わり、自由でゆとりのある人々が街に溢れ、豊かで希望あるアートのあり方、社会が、あなたとともに始まるのです。