投稿者: kawadayuko

美術助成金ー寄付経過報告2

一昨日、昨日と単発のアルバイトに行って来ました。仕事内容は、ホテルのレストランの配膳です。制作時間をとるか、生活費を優先に稼ぐかで葛藤があります。時給960円と1時間制作に向かうのとどちらが画家としてあるべき姿か....自ずと答えは決まっています。

ですが時期的なこともあるのか、寄付の集まり具合が芳しくなく、このままでは来月の生活すら危ぶまれます。

そのような状況に、心強くもメールで美術助成金の情報を教えて下さった方がありました。本当にありがたく、さっそく内容を調べてみました。しかし残念ながらこれらはすべて、美術家個人の制作に助成金を出してくれる内容ではなく、美術館が展覧会を企画する際の資金を助成する制度でした。

美術館で展示される作品を制作する、芸術家の生活や制作費を応援するような、助成制度はないものでしょうか?助成金については現在引き続き調査中です。どなたか良い情報をご存知でしたら、是非お知らせ下さい。よろしくお願い致します。

芸術文化振興基金(文化庁):募集要項に、助成対象経費として作品制作費は対象外とされています。

花王芸術・科学財団:募集要項に助成対象に「作家の制作活動費も対象になりません。」と明示されています。

公益財団法人三菱UFJ信託地域文化財団:各地の美術館等が地域の人々に優れた美術品の鑑賞の機会を提供する展示活動等。

*「画家川田祐子 芸術支援寄付」プロジェクト収入の経過報告2*

期間:5月1日~5月4日

応援寄付 1名様(東京都) 寄付金小計 1,000円

アルバイト 12,480円

収入小計13,480円

収入総計 85,740円(内寄付総計12,000円)

今月末までに必要な金額 あと64,260円
目的達成まで あと3,714,260円

追伸:アルバイト先の立山の麓までは、乗り合いの車で長野市から約1時間半。
車窓から見る信州の新緑、そびえ立つ立山連峰、五月晴れの穏やかな空....、
これらを「内なる自然」に刻み込んだのでした。
そして記憶が消え去らぬうちにと、深夜帰宅後すぐ、しばし制作に向かったのでした。
本日もこれから制作です。
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横須賀美術館展示おたより紹介ー寄付経過報告1

横須賀美術館での展示を見に行って下さった方から、おたよりが届きました。

「昨日(4月25日)一人旅に行って来ました。
京浜急行の快速にてちょっとした小旅行気分を味わいながらたどりつきました。
あなたの『硯海』にももちろん対面してきました。
この濃淡のなかにどのような想いや労力が費やされているのかな・・などと思いながら拝見させていただきました。
美術館自体も美術品のような配慮で造られており、日常を離れたひと時をすごさせていただきました。
ありがとうございました。」

届いたお葉書には、谷内六郎の『船が編むレース』という作品が印刷されています。
本当に心温まるお言葉、胸に沁みました。
こちらこそ、ありがとうございます。

私はまだ横須賀美術館には、自分の作品の展示を見に行くことが出来ていません。
こんな天気の良い日に、海を見ながら美術館に行けたらどんなに気持ちが晴れることか...。
そして、熱心に見に来てくれた人にご挨拶が出来ればとも思いましたが、それらは全て作品に任せることにしました。
きっと、作品も横須賀の空の下で気持ちよく過ごしているに違いありませんから。

*寄付等収益の経過をご報告*

期間:4月28日~5月1日

応援寄付 1名様(東京都)
賛同寄付 1名様(オーストラリア)

寄付金合計11,000円

画集1冊販売 1,260円

その他の臨時収入(先月施設に作品1点が買上げとなりました)
作品画料 60,000円

収入合計 72,260円

寄付をして下さった方々へは、ささやかなお礼をお送りさせて頂きました。
オーストラリアの方へは、小型包装小包航空便にて画集を発送致しました。
土日休祭日が重なり、本日発送となりましたことをご了解下さい。

本当に心からお礼申し上げます。

今月末までに、まだ約8万円が必要です。

昨晩、報道関係者等、頭に浮かぶ方々6名に直接送る内容書類をつくりました。
文章の推敲にきりがなく、まだ不充分な状態かもしれませんが、時間的な限界もあり、祈る思いで投函しました。

広くご理解が頂けるよう、「寄付のお願い」の文章を少しずつ手直ししていくつもりです。
また、プロフィール欄にpdfで書類をダウンロード出来るよう、URLに貼ってアップしました。
http://www.kawadayuko.com/swfu/d/kawadayuko_art_support_donation.pdf

メールやFacebook、Twitterに添付等の形で、広く呼びかけをお願いします。

また本日市内の派遣会社に登録をして来ました。
この連休にできる単発的なお仕事は何でもするつもりです。

以上ご報告まで。
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寄付のお願い

現状

私は画家として、新たな決意を迫られています。

長野アトリエ

私の活動歴を見て頂くとわかりますように、とても恵まれて順調に歩んでいます。最近では、2010-11年の水戸芸術館のワークショップ、2011年東京国立近代美術館での2度目の所蔵品展「マチエール(画肌)の魅力」での展示、そして3月から開催されている横須賀美術館5周年記念「横須賀・三浦半島の作家たち」での所蔵品展に現在作品を貸出し中です。

また今月に入ってからは個人美術館から、企画展依頼のお手紙も頂きました。どんなに励まされ、生きる支えになっているか知れません。制作をしながら自然に涙が溢れて来る事があります。

このように恵まれている状況でありながら、悔しい事に経済的な問題が、まだまだ全く解決できないのです。生活を維持して行ける分の収入に繋がらないのです。新作をどうしてもまとまった形で皆さんにお見せしようとすると、小出しに販売する事ができません。画廊で企画個展発表をたとえしても、その度に作家にも画廊にも大きな経済負担がのしかかります。画廊は画廊スペースの確保の地代・運営費の負担、作家は発表のための画材費、制作時間の確保による経済負担があり、たとえ作品が売れたとしても、画家の画料は収益の半分、集金までのタイムラグの負担もあるため、お金が手元にやっと届いたころには、かかった費用の借金の一部に充てるのがやっと、生活の支えにはなりません。それでももう万作尽きたと思う度に、これまで奇跡のように美術館等の大作の買上があり、その度に極身近な人たちに少しずつ理解されるようになり、借金の肩代わりや資金の援助をしてもらっていたのが実情です。しかし現状に至っては、美術館自体が今、経営難に直面していて、寄付を募っている状態なのです。
http://arttowermito.or.jp/support/support01e.html
http://www.momat.go.jp/sanjokaiin/index.html

それでも常に画家は、画家であることに自負を持ち、お金にはならない事でも、謝礼以上の内容で発表しなければなりません。作品も活動も、私が死んだ後までずっと何らかの形で語り継がれ、残されて行くからです。時代が悪かったとか、お金がなかったからと言って、妥協したようなものは出来ません。

私は知っています。どんなに時代が悪くても、たとえ戦争の最中にあっても、画家は食べるものを削ってまで絵具を買い、作品を描き続ける事を。第二次世界大戦後の1940年代の傑作の多くは、人間が生命を賭けて残し、生きることの尊さを表明しているものばかりです。時代が変わってもそれらは色褪せる事がありません。

翻って、今私たちは、実は戦争とは形が異なるものの、同じような未曾有の経済危機の状況下にあります。

芸術活動の支援の意義

それでも私は、作品とともに画家としての生き様を見せる事で、後進の画家志望の人たちのみならず、何らかの形で美術や芸術に従事しようとする人たちに、芸術の尊さや希望を示さなければならない、そう決意をしました。それがこの状況に対する私という一人の芸術家としての表現、意志の表明とすることにしました。

この資本主義の社会に合わせて、芸術作品を商品として売っても、その価値に見合ったお金を稼ぐことが充分に出来ていません。たとえ国を代表する美術館で収蔵されたとしてもです。そして芸術にはパラドックスがあり、画家が作品でお金を稼ぎ、作品がブランド化した瞬間に、芸術というオーラが失われるという矛盾もあります。

従って純粋な芸術活動には、どうしても何らかのサポートが必要なのです。

この国際的な経済的苦難の時代にあっても、私が真摯に芸術制作を行い続けることで、それでも芸術が人間にとって、なくてはならない価値あるものであることを証明したいと思います。芸術作品のオークション等での価格高騰のような商業的成功が人々を感動させるのではなく、画家として一途に生きる姿、八面玲瓏の存在こそが芸術を生み、感動を与えるということを。

それには、私一人の力では不可能です。またそれでは重要な意味を示せません。八面玲瓏の珠には、社会そのものが映り込むものだからです。

その映り込むものとは、「このような時代であっても、画家川田祐子の活動には、それを支える芸術に理解ある気高い人々、文化的基盤を持つ社会、新しい芸術支援のあり方があった」という事実であり、それが後世に語り継がれる程のインパクトで示されることが重要です。

もちろん、これまでにも励ましの言葉や、多くのチャンス、作品を買って頂く事で、充分支援をして頂いて参りました。それらに感謝するとともに、だからこそその恩に報いるためにも、今ここで頑張らなくてはなりません。今まではなるべく、このような個人的な経済的な事情を表には出さないようにしていました。いつでもぐっとこらえて、経済的負担は、私なりの芸術への「奉仕」と考えることにしていました。しかし、それでは、1個人だけの芸術への貢献になりかねません。画家の活動が、理解者の経済的支援のもとに成り立っていることを、隠す事なく明確にすることで、芸術制作が社会活動となるのです。従って、一度皆様に正直に経済的事情をお話しすることで、画家川田祐子の真意を問い、多くの賛同者・支援のもとに芸術活動が成り立ち得ることを示したいと存じます。

寄付のお願い

これまで身近な励ましの声や、ごく一部の人たちの物品等のご支援は頂いていましたが、今回初めてこの場をお借りしまして、具体的な経済支援としての寄付金を公の場で募ることに致しました。

私がこの2年後の発表に向けて、新作制作に邁進するためには、月8万のアトリエ維持費・生活費、そしてこれまでの4年間の負債の返済168万(月7万)とを合わせて、どうしても月々約15万、その他に画材等制作活動費20万を含めて合計約380万円を必要としています。

この2年間をご支援して頂く事で、私は多くの人に感動を与えることのできる作品を出来る限り多く制作し、美術館での企画グループ展及び個展の開催を必ず実現する事をお約束致します。そして、制作に支障のない程度のアルバイトをしながら、10月に予定される公募展への応募等、持てる能力を全て発揮して、出来得る限りの収入の可能性に挑戦致します。また、このご支援が、2年後以降の活躍への投資にも繋がるように努めます。そして、これが非営利の募金活動であることを誓ってお約束し、上記金額が達成した時点で寄付活動を終了致します。

しかし、万が一寄付が思うように集まらず、生活基盤の維持と制作時間の確保が出来なくなった時点で、皆様の期待や希望には値しない画家であると判断して、潔く依頼されている二つの企画展を辞退し、一線を退くことと致します。

どうか、私のこの画家としての活動に、ご理解、応援、賛同、ご支援を賜りたく、何卒ご寄付の程よろしくお願い申し上げます。

寄付額
応援 一口1000円から
賛同 一口10000円から

寄付の状況は、ブログにて、必ずその都度経過報告致します。

寄付の方法

▶銀行口座振込

ゆうちょ銀行
振込口座
なまえ:カワダ ユウコ
記号:10280
番号:74164671
備考:郵便局のATM、ゆうちょ銀行口座同士送金は平日既定時間内に限り無料

三菱東京UFJ銀行
相模原支店
店番:259
名前:カワダ ユウコ
番号:0058578
備考:三菱東京UFJ銀行口座同士の振込手数料は平日既定時間内に限り無料

住所明記で寄付をして下さった方には、アトリエSTUDIO KAWADAから、ささやかなお礼と、企画展覧会開催の際には必ずお知らせをお送り致します。どうか、重ねてよろしくお願い致します。

画家川田祐子 長野アトリエSTUDIO KAWADAより

2012制作風景s@

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これまでの経緯ーそして決意

画家川田祐子は、約20年間、画廊での個展やグループ展、美術館での企画展、ワークショップ、作品収蔵、大学機関での講師、公的機関でのシンポジウム等々、画家として数えきれない程のチャンスに恵まれて、活動することが出来ました。これらは、私の力をはるかに超えた、多くの方々の尊いお力添えの賜物、一つ一つが奇跡の積み重ねです。今振り返り、感謝の気持ちで心が震える思いです。

しかし、現実的には2008年まで、個人サポーターによって、制作室と生活費の支援があったため、画家としての活動が実現していました。ところが、複雑な事情が起こり、支援の手を離れて独立した頃から、思うように活動ができなくなっていました。名目上の会社形態にして、銀行の融資も受け、美術作品を広く普及する事業も展開しようと努力致しましたが、力及ばず、負債を膨らますことになるばかりでした。

それでも、2008年に第21回美浜美術展 福井県知事賞、2009年第22回美浜美術展 準大賞、平成21年度女子美術大学制作奨励賞を受賞し、苦境を切り抜けようと精一杯頑張りました。

しかし昨年2011年の大震災のショックで、自分自身画家として生きる事のリアリティを感じなくなったこともあり、一時は制作を離れて生きる術を求めて迷走することとなりました。経歴を伏せ、アルバイトや内職に奔走することもありました。

この度長野への移転は、実はそうした生活上の事情から、画家としてのこれまでの経験を後進の育成に役立てる生き方にシフトしようとして行ったことなのです。しかし、運命は私が画家であるよう引き止めたのです。

まず、昨年12月に入ってから、横須賀美術館から所蔵品展への展示作品借用の依頼が来ました。引っ越しの手続きをしている矢先のことでした。とても嬉しい反面、自分の画家としての置き所がわからないまま移転、長野から作品を送りました。

そしてとても衝撃的なことが、3月4日と5日に起こりました。

4日に、ある美術館から手紙が届き、それを確認したところ、2年後の開催予定の大規模な企画展の依頼が来ていたことがわかったのです。

その内容は、

会期:2014年1~2月
企画・会場:損保ジャパン東郷青児美術館
展覧会名:企画展「クインテットー五つ星の女性作家たち 1」展

内容:将来有望な5人の女性作家を紹介する展覧会
30~50代で、国公私立美術館の企画グループ展等に出品経験があり、将来有望な女性作家5人を選出。出品作家は、当館の5人展を経て、近い将来、国内美術館で個展が開催出来る可能性を秘めた、実力作家。(企画書より引用のママ)

私の心は大きく揺れました。長野に来てからは、絵画制作を寸暇をみつけて細々と続けられたとしても、発表活動はしばらく諦めようと思っていたからです。真剣に、これまでの経験を美術教育に活かすよう、教育・研究に身を捧げようと心に決めていたのです。ですから、そのような良い話しに甘んじて決意を覆してはならないと、その時はそう自分に言い聞かせました。

しかしその翌日、大学機関から「最終の受理が通らなかった」という失意の連絡を受け取ったのでした。昨年9月から丸半年をかけて厳しい審査をくぐり抜け、最後まで残っていたのですが、全くの白紙になってしまったのです。

私は、この時二つの矛盾した心が、自分の中にあることをはじめて実感しました。
「私はやはり画家として生きて行くことを許された」
という気持ちと
「これからどうしよう」
という途方に暮れる気持ちです。
経済的に困難な状況に解決の目処がつかないからです。

その足で、偶然、国立国際美術館の女性作家作品コレクション展に出会ったのです。運命を感じずにいられませんでした。どれほどその時に励まされ、心を強くしたことか...。。今日私がこうあることも、全てこれらの人たちの少しずつの努力の積み重ねで可能になっていることかもしれないからです。

「私も勇気をもって『画家』として立ち向かおう」そう決意できました。

長野に移転したことについては、今では何も後悔はありません。もし相模原に居続けていたとしても、経済的状況は何も変わらないからです。引っ越しに費用がかかりましたが、むしろその分、家賃や生活費を抑えることができ、アトリエも少し広くなったのです。制作に集中する環境は充分に整っています。また、採用されなかったことを恨む気持ちも全くありません。この経験は一つの大きな自信に繋がっています。最後まで私の業績を深く理解し、推して下さった人がいたのですから。

新作制作もとてもはかどっています。しかし.....。

この続きは明日に持ち越します。
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