2026
ドローイング
鉛筆・ホワイトチョーク・紙
55.2x38cm
*額装付
『光玲の祈り』〜「未完の美」と不完全さの受容
この作品が生まれた背景には、先月、オークションで落札された『オリツヅリミノル』という作品があります。これは2021年に制作したドローイングなのですが、先月落札されたため額装を施す作業を致しました。その際、私自身が長年実現できずにいたことが、実はここにようやく現れていたのだと、今更ながら見落としていた大切な発見をすることができたのです。
見落としていたこと、それは「未完の美」という課題でした。 30年間、ひたむきに作品を制作してきた私にとって、「どういうきっかけでこの課題を表現に取り入れたら良いのか」は、ずっと頭では分かっていても、どうしても解決できないことでした。
近代から現代へとアートが変遷する中で、近代以前の作家たちがどうしても辿り着けなかった「未完の美」。「一生懸命に良いものを」と願う制作は、どうしても画面のすべてを均一に埋め尽くしてしまいがちになります。手を抜くことと、あえて未完のまま留めることのせめぎ合いは、本当に苦渋の決断の連続です。
しかし、私たちの人生そのものは、そもそも「完成形」なのでしょうか。 この年齢になると、次々と身近な人々の死に直面することが増え、人間の不完全さに無意識のうちに呪いのようなものを感じてしまう自分がいたりしました。しかし、それは本当に呪いなのでしょうか。前世の因縁や、因果応報のようなものなのでしょうか。
今月、YouTubeで「なぜ現代アートは難解なのか?『4つの足枷』と鏡のなかの私たち」という動画を配信しました。
この中で私は、「私たちは鏡の中で反転した世界を生きている、あるいはそれを見させられている」というお話をしました。
私は長年、人から誤解を受けやすい性質だったこともあり、経験的に何か理不尽なことや無理解なことが起きても、「世の中とはだいたい、そのように真逆のことが起きてしまうものだ」と諦めて生きてきたところがあります。 それでも失望に変わらなかったのは、「人を変えることはできないけれど、自分が見たい世界は変えられる。いつも自分の理想の世界、美しいものに目を向けよう」と思い直すことができたからです。
そうした姿勢は、私の生きる意欲を高め、より強靭な生活力や精神性を磨き上げていくバネになってくれたと思っています。 そのようにして必死に頑張ってきた30年間を振り返った時、今の私の中には、少し静かで温和な風が吹いています。その変化が何をもたらしたかと言えば、「皆同じように不完全であることを許し合い、むしろそれを喜び、慈しもう」という境地への至りでした。
立派である必要など、どこにもないのです。 社会の誰も、この小さな存在である私に過度な期待を寄せているわけではありません。なぜなら、社会そのものもまた不完全だからです。 だからこそ、一歩一歩できる範囲で少しでも誠実に生きよう、お互いの不完全さを認めようと心がけること。それ自体が、多くの人に安心感と勇気を与えることになるのではないかと思います。
そのような心の大きな変化が、今回の新作『光玲の祈り』という作品に結実しました。
このタイトルの「光玲の祈り」は、私の作った造語です。どこかで聞いたことがあるような響きかもしれませんね。 最初に私の頭に降りてきた音は、「こうれいじゅつ」でした。そこで「降霊術」の文字を作品に重ねて感じ取ってみたのです。意味合いとしては悪くないのですが、どうにも怪しげな、おどろおどろしい雰囲気が漂い始めてしまいました。アートの起源は呪術にあるとする説もあるくらいですから内容は間違っていないのですが、どうしても幼少期にモノクロのテレビで見た、あの子供向け番組のワンシーンが頭に浮かんでしまうのです。洞窟の中で少年が悪魔に教わった「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……」という呪文を、地面の幾何学模様の上で唱えている、あの怪しげな光景です(笑)。
そこで、漢字を「光玲術」に変えてみました。しかし、美術は確かに「術」ではあるものの、この言葉には「医術」ならともかく、「忍術」「呪術」「手術」「魔術」といった、どこか過激で強制的な響きが刷り込まれているように感じました。
そのとき、ふと近くの長倉神社の静けさが手を差し伸べてくれたのです。 「祈り」――これは、私がこれまでタイトルに一度も使ってこなかった言葉でした。 かつて2010年代に、ある方から「川田さんの制作は、祈りと関係がありますか?」と聞かれたことがありました。当時はそのようなことを全く意識したことすらありませんでした。
しかし、改めて自分の制作生活を振り返ったとき、「これは信仰だな」と思うようになったのです。 「信仰」とは内面の状態や確信であり、「祈り」はその内面から湧き出る具体的な行為や実践です。 これまでの私は、自分の内面の状態(=信仰)にばかり関心があり、それをどのような「行為」として作品に表現するかという「祈り」の視点に、どこか無頓着だったのではないかと気づかされました。
今回の新作が「術」ではなく「祈り」となったのは、「祈り」とはどこまでも「願いの実現」ではない、という諦念(ていねん)があるからです。
人間にはどうしても不可能で実現できないこと、夢や希望は必ずしも叶えられないこと。そうした悲しみや悔しさ、辛さから目を背けることなく、ただただ祈り、描き続けるという姿勢。それこそが、この『光玲の祈り』の、未完や途上の表現として残されることに最も相応しい形だったのです。
そして、今回お届けする『光玲の祈り』、そして次にご紹介する『星路(Stellar Journey)』の2点は、私にとって一つの到達点であると同時に、未来に出会うべきさらなる大作へと向かう、大切な「途上の道標」でもあります。
今この瞬間の、未来へ続く旅の始まりの気配を、作品から感じていただければ幸いです。
2026
ドローイング
鉛筆・ホワイトチョーク・紙
55.2x38cm
Instagram:制作過程
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