2017
oil and egg tempera on canvas
27x35cm
(油彩に卵テンペラの線描を加筆した技法です)
*2017年当時は『芒(のぎ)』というタイトルでした。
オークションは終了いたしました。
この作品は当初「芒(のぎ)」というタイトルでした。2017年7月20日配信の画家川田祐子のニュースレター@ No.7に、タイトルについての説明文が残っています。
「私の好きな言葉の一つ。
『雑草とは何か?その美点がまだ発見されていない植物である。』(エマーソン)
さまざまな美が絵画に出し尽くされていたとして、果たして私に残されたテーマがあるだろうか?
そういう問題にぶち当たった時に、私は4年前に大腿骨を折って『道草』という言葉に辿り着きました。自分自身の日常から生まれた『道草』シリーズの作品が生まれて、昨年夏には美術館の個展のチャンスを頂けたのでした。
もし本道というものがあるとして、人はなかなか横道に反れる事が出来ないものです。でも偶然の素晴らしい出会いとは、案外、脇道や遠回りの道にあるものです。またそういう一見無意味な時間を作ることこそが贅沢というものなのかもしれません。
道草には、従来「雑草」が生えているものですが、今では『雑草』さえも除草剤等で消されてしまう時代。しかし、ここ中軽井沢は雑草の宝庫です。さまざまな意味不明、無意味な存在に刺激を受ける事が出来るのです。そういう中で生活していると、そのうち必ず『雑草』こそが宝であるという時代が来るのでは、と思ってしまう程です。
以前『ライ麦』について調べた時に、とても驚いたことがあります。ライ麦は本来、麦の雑草として嫌われていたものが、何とかして行き伸びたいと麦に似せて進化したそうで、今ではむしろ麦よりも高い値で売られ、価値が見直された植物とのこと。私たちは、ついお米ならコシヒカリこそが贅沢、と考えてしまいがちですが、その内価値観が変わると、案外、なるべく美味しくないお米、例えば玄米をこぞって食べたがる時代がすぐそこに来るのかもしれません。
今月は、『芒(のぎ)』を意識したような作品が数点生まれました。住まいの近くの川岸には、まるで川の在り処を密やかに隠すかのように、背の高い草むらが密生しています。夕方風そよぐ日には、それがさらさらと絶えず揺れ動いて涼を呼びます。様々な光の形が去来するのを楽しんでいる内に、このような作風に辿り着きました。読者の皆様にも、軽井沢の涼が届きますように。」
しかし、ちょうどコロナの時期に、たまたまあるクリニックにこの作品を送った際に、この「芒」という漢字は、「草の下に亡」で、このご時世に展示し難いという指摘があって戻って来てしまいました。また英文に翻訳し難いこともあって、後に「やわらかな季節」となりました。

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