長らく、ブログを書くことがままなりませんでした。通信誌『画家川田祐子 長野STUDIO KAWADA』の編集とその付録のDVDの制作に追われていたからです。寄付をして下さった方、このブログから画集等買って頂き応援して下さっている方々約20名に配送が完了しました。

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通信1号(三つ折)表

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通信1号(三つ折)裏

通信誌は、A4サイズ6ページ(三つ折式)に編集後記1ページを添えました。今回の内容は、ほとんど寄付のご報告や賛同者の声を中心に編集し、長野での私の生活や制作の様子のわかる図版も加えました。また、YOU TUBEにアップした動画の画質等を改良して、DVDに焼き、ジャケットも手づくりし、付録として添えました。お送りした人には、おそらく今日明日には、届くことでしょう。今後毎月刊行出来るよう努めて行きますが、寄付額の都合で、どうなることになるかまだ先はまだわかりません。皆さんのご要望に左右されますので、是非お力を頂ければと思っています。

この通信誌は今後、寄付や支援を広めるためというよりも、私自身が長野という場所でどのように制作しているかをまず皆さんに知って頂く事が一番大切と思っています。これまでは、純粋に作品制作に全精力を使ってしまっていて、私の作品を楽しみにして下さる方々との交流をうまく持つ方法がわからないでいました。私自身が制作にほとんどの時間を費やしてしまい、人と会う時間が持てなかったのです。個展をすると、皆さんとお会いして、ご挨拶等出来ましたが、それでも一人一人の方と親しく出来る時間はとても限られたものでした。また、お食事等に誘われることもあったのですが、この人には応じて、あの人には応じる事が出来なかった、というのではやはりいけないと思い、次第に全てお断りするようにもなってしまいました。でも皆さんが、私と会いたいと思って下さっている事はよくわかっていて、どうしたらいいか、ずっと未解決のままでいました。

長野という、これまでよりも少し離れた距離になり、ますますこのままではいけないような気もして参りました。そこで、作品をご理解頂いたり、私と交流を持ちたいと思って下さる方々と親交を深めるために、まずは通信誌をお送りする事がいいのではないかと思っています。ブログですと、私自身が誰に向かって書いているかわからないような状態ですが、読者が存在することで、文章を書く目的がはっきりとし、記録として残す意味のある内容に絞ることができるのではないかと思われます。この通信誌を媒介に、制作発表のお知らせ、制作の楽屋裏、私の波瀾万丈の半世紀に及ぶ自伝の連載、コレクションして下さる方のご意見やお便り、お宅での室内展示風景写真などもご紹介する一方、私の作品の楽しみ方や、制作にまつわる話し等も書いていきたいと思っています。また、懇親会やお茶会、展覧会鑑賞会等の企画、参加者募集もしていくことを考えているところです。

尚、この通信誌は、私個人で所有している大型プリンターによるフルカラー、オンデマンド印刷。紙の裁断も、制作で使うカッターを使用して、すべて手作業の自作です。

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画家川田祐子 長野STUDIO KAWADA 通信 第1号(付録 DVD)(送料込 500円)
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私という画家にご興味を感じて頂きましたら、お気軽にご注文下さい。お待ちしております!





さて最後に、この通信誌創刊にふさわしい話しが続きます。

今日は久しぶりに長野県立図書館へ足を運びました。新緑がとてもすがすがしく、あちこちの庭先のバラの花を楽しんで来ました。お目当ての図書は、『宮芳平自伝 森鴎外に愛された画学生M君の生涯』無名の画家を発掘されてこの本を編集され注解を書かれた方から、このようなお便りとこの度ご支援を頂き、早速本日図書館で少し読み、借りて来ました。

「私が長年調査研究している洋画家、宮芳平も大正時代や戦前に、制作を続けていくために自作の頒布会とか、支援会などを作りました。人のつてを頼って、金持ちの実業家に支援を頼んだこともあります。老後には、女学校の非常勤講師をしていたので、教え子たちがたくさんいて、その卒業生たちがみんなで寄付を募ったこともあります。こういうことは、いつの時代でもあることなので、恥じることではないと思います。」

とてもありがたいお言葉を頂き、心を強くする事ができました。宮氏のお名前と画業は、失礼ながら今回初めて知りました。そのくらい無名です。「これほどの力のある作品を残し、著名人に囲まれ、記録資料も多く残る画家が、なぜ?」私だけでなく誰でもそう思うはずです。そのことについて、編者があとがきに解説されていて、それを先に読みました。ほとんど自分に重ねて読んでしまうので、胸がつまるような思いがして、気づいたら図書館で涙していました。恥ずかしいので、そそくさと借りて来た次第です。そして、ご本人宮氏が残された文章が、またとても良く、長野電鉄の車内で読み始めて、みるみる引き込まれてしまいました。

そして、「はっ」とびっくりしたのは、偶然にも今日6月5日は宮氏の誕生日なのでした。1893年のことです。もうかれこれ110年。それにもかかわらず、画業で身を立てるのは相も変わら
ず大変なことです。変わったことがひとつあるとすれば、私が女性であることです。当時は女性でこのように、画業で身を立てようなどということは社会がまず許さなかったことでしょう。私がどれほどいろいろな条件が整った恵まれた環境下に生き制作出来ているか知れません。そしてその誕生日の日に、私がこの画家から多くを考えさせられ、励まされ、勇気づけられたことを、いつの日にか、私もまたどこかの画家の励みになれたらとも思うのでした。この人も、ガリ版刷りで通信誌を発行されたということも知り、本当に驚くばかりです。この貴重な資料を編集した人があって、はじめて長い年月の後に、一人の画家が発掘される。「良い作品に絶対的な力がある」とは限らないのです。「画家とは、自らが画家を称して画家になるのではない。その作品を取り囲む人々が、その価値を見出して、画家をつくりあげるのだ」と私は信じて疑いません。そのことをこの本も実証しているのですから。通信誌を発行し、発送し終わった今日、巡り会うべくして出会った1册でした。