このブログ記事に、「大腿骨骨折」の検索で入って来る人が絶えることがありません。
その後の経過報告を書かなくてはと、久しく思っていて今日になってしまいました。

膝の不具合等もあって、長らく階段を上る時に手すりにつかまらなければならなかったのですが、
今年の9月あたりから、突然手すりなしで階段が上れるようになりました。
(まだ雨の日は少し痛いのですが)

半諦めていただけに、このことは自分にとって、
とても大きな自信につながりました。
何が原因で回復に至ったのか?
思い当たることと言えば、
朝のラジオ体操の後に必ず行っている座禅です。

骨折の回復のために習慣にしたわけではなくて、
夏に長野県にいらした無方老師の座禅会で
「とにかく毎日数分でも構わないから、座禅をするように」
と言われたことがきっかけとなりました。

はじめは、とてもハードルが高いことでした。

骨折をする前は、たまに気分が乗る時にだけ座禅らしきことをしていましたが、
大腿骨骨折をきっかけに、足を組むことすら臆病になっていたからです。

それでもせっかく無方老師から教えて頂いたことなので、
座禅会の次の日から、朝起きて、ラジオ体操、
そして座禅をほんの数分でもするようになりました。

何でもないことなのですが、誰かが見ているわけでもないし、
誰かがどうしてもしなさいと言うわけでもない。
そして、座禅をしたから幸せになるとか、気分が優れるとか、
何かが約束されているわけでもないこと、
そんなことを真剣に毎日することは、本当に難しいものです。

ラジオ体操をしないと、制作をする上で不都合が出て来ることを、
身体で知っているために、体操はせざるを得ないのですが、
座禅をしないと身体が不調になるというようなことは想像出来ず、
ラジオ体操が終わって、座禅をする瞬間というのは、本当にしばらく辛いことでした。

毎朝、「今朝は省略しようかな?」という言葉が必ず頭によぎりましたが、
「何か一つでも毎日、何の意味も期待出来ないことをする時間も大切にした方がいいのではないか?」
という気持ちも湧いて来て、今日に至るまでずっと続けています。
毎日の生活が、全て制作に全精力を向けてしまい、
自分の個人的な時間というのは、正直言ってずっと持ったことがありません。
本を読むにしても、食べるにしても、眠るにしても、
考え事をするにしても、たとえ買い物をするにしても、
何もかもが制作のために良いということを意識して行っているので、
それ以外の時間の使い方をしない自分が、どこかで疲弊して来ることがあるのです。

ちょうど、隙間のないように庭もなくきっちりと、全面積に家を建ててしまった土地が、
端から見て酸素不足のような気がして、窮屈な家に見えるような感じ、
と言ったらわかるでしょうか?

どこか無駄があったり、不思議な隙間があって、ようやく息が抜けるのではないか、
作品の制作にも、それは重要なことだと考えられるようになって来ました。

私にとっては、そのような無駄としての座禅でしたが、
予想もしないような効果があったのでした。

老師もおっしゃっていました。
「悟りを得たいとか、幸せになるために、という欲望のために座禅をするわけではない。」
本当にそのとおりと実感しています。
すくなくとも、足を治したいなどと思ってもみませんでした。
むしろ、足に負担があってまずいかな?くらいなものでした。

そして老師の言葉が、私の耳には、
「売れるからとか、褒められたいからとか、名誉のために絵を制作するわけではない。」
と今でも聞こえて来ます。
本当にそのとおりです。
絵も人によっては無駄なものかもしれません。
「人生をそのために費やして、一体何の意味があるのか?」と仰る人もいることでしょう。
でもしかし、その無駄を買うことが、どんなにすばらしいことかを知っている人も実際に存在するのです。

そして私はその制作を通して、やはり予期せぬ幸せを、
今日もこうして感じることが出来ました。

本日もまた2名様からご支援を頂きました。

午前中に、神奈川県O様から、画集の注文を頂きました。ありがとうございました。

また、群馬県S様から賛同寄付一口1万円のご寄付をご送金頂きました。ありがとうございました。

また、Facebookにフォローして下さる方が3名もありました。
これは今までにないような反響です。

皆様の励ましに心からお礼申し上げます。

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ナムラ油彩用筆HF

引き続き、ご支援の程よろしくお願い申し上げます。

再びご支援のお願い